どうしても患者さん側と施療者側で認識の違いがある「安静」とは?
そもそも怪我の程度によるのですが、患者さんは目に見える怪我でないと
安静にしないんですよね。
それに施療者側の安静にってのは、生きることに必要な行動以外してほしくない
ってニュアンスだと思うんです。
「ご飯を作るために買い物に」「働かないとお金がない」はまぁ仕方ないと思います。
でも、「草が伸びてたから気になって草取り」「部屋の掃除をしないと」は
安静にって時にしてほしくないんですよね。
してもいいんですけど、その分回復は遅くなると認識してほしい。
いつもの日常生活をすれば、怪我した身体には負担なんです。
それは怪我をしていない健康な身体での日常生活なのだから。
施療者も患者もお互い協力関係になれば早く治すことはできると思います。
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